自慢じゃないが、僕の彼女は莫迦だ。よくもまあこんなのと長い間一緒に居るものと思う。いや、流石に莫迦、と一言で片づけるのは、括り過ぎだろうか、それでも言い過ぎ、とは思わない。
ねえ、こんな形した螺子回し、ハ○ズ行けば売ってるかな?
あるわけないじゃん、螺子ってのは規格が決まってんだよ。こんな規格のドライバー、ないよ
世間知らず、非常識、世の中を舐めている、それこそ莫迦が付くほどの楽観主義。何よりも無知で思考を止めたとしか思えない程、何に対しても疑問を抱かない、知らないものはこの世に存在しないとでも言いたげだ。
規格?
ああ、あっこの螺子は、たぶんそっちの螺子に使える。逆に、これはここにしか使えない
プラスかマイナスかだけじゃないんだ~
と、この通り。これほど莫迦なのもしかし、可愛いなら愛嬌とでも言うのだろうかと誰にともなく聞き返したくなる。まあ、だからこそ一緒にいるのだろうと言われると否定はできないのだが。
白痴美、と言われるとそういうものなのだろうか。ぼーっとしていることが多くて僕と会話していても目の焦点が僕に合っているとは限らない。焦点が合っていないように見えるのは目ばかりではない、会話をしていてもなんだかずれていて歯車が噛み合わないまま、アクセルもブレーキも諦めて放り出すように会話を止めることもしばしばだ。飄々と地に足がつかない様子でいるのが、人によっては可愛らしいというのだが、僕には飄々というよりふらふらしているようにしか見えない。
それでもこれは僕のことを好きだというのだし、僕は生まれてこの方、これ以外の女と付き合ったことがない。今更離れる理由もない、今のところは。惰性といわれれば惰性だろう。
だってこの螺子、プラスでもマイナスでもないんだよ?おもしろいよー、何かに使ってみたくなるじゃん
彼女はそう言うが、ではどんなドライバーでその奇妙な螺子を締めるというのだろう。やってみたいのはわかるが、そもそも出来たとしたって、どうでもいいことだろう。何でこんな螺子一つ回すことに拘るのだろうか。いや、これはそれほど莫迦なのか。
その螺子はいつの間にかリビングの床に落ちていて、きっとこの家の中の何かから外れたんだろうと言うことになったが、いくら探してもそれに当たりそうな螺子の足りない機械や家具は見あたらない。
その螺子が奇妙なのは、螺子の頭の溝が星の形をしていることだ。六角形のものなら家具などでよく見るがそうではない。五芒星の形、しかも中抜きではなく一筆描きできる線なのだ。デザイン性を気にした螺子という物がどの程度あるのかは知らないが、どちらにせよ二度と締めることなど考えられていない様に思える。こんなドライバー、世の中にはないだろう。
そう思っていたが、彼女はまあどこで覚えたのか螺子の頭を粘土で型取り、それに合う型をつくって硬質樹脂で専用ドライバーをこさえてしまった。趣味も高じれば感心に値する、こんなことばかりは器用にやるのなら、せめて炊事洗濯くらいは出来てほしいものだ。
あとは穴を探すだけね。それくらい手伝ってよ
いいだろ無理に使わなくっても。今のところなんかが壊れてるわけでもないんだし、不足が見つかったときで
僕が言うのも聞かず、家の中の家具、機材、壁、至る所を探している。彼女は家にある螺子を片っ端から外して、件の奇妙な螺子を填められる螺子穴を探し始めた。当然、このフシアナ目が探したって見つかる穴があるわけもない。そもそもこれは、螺子と釘とボルトの区別さえついていないと思う。
見た目は可愛い筈なのだが、家の中をあちこち這ったりへばり付いたりして探し回る様は、なんだか気持ちが悪い。形はどう見たって人間なのに、蛞蝓とか蛇とか、アメーバだとか地虫の類が家の中をずるずるずると這いずり回っているように見えてきた。あれ。せめて普段知的に振る舞ってくれるのならいいのだけど、普段があれなのだ。こんな姿を見ていると、なんだか本当に、彼女の正体は蛞蝓、いや、もっと下等で気色の悪い唾棄すべき何かが人の皮を被って擬態しているのではないかとさえ思えてくる。
寒気がした。
あれが柱にへばり付いて今は使われていない留め螺子穴を覗き込む時に使っているのは、前足後足とそれ以外にも節のついた無数の脚?
あれが首を傾げてはベッドの脚にある調節用の螺子穴に入れているのは、その穴が自分の塒に相応しいかどうか品定めする軟体動物の湿った触手?
―ねえ、どうおもう?―声は、海の中でくぐもったそれが響いて頭の中に入り込んでくるときのように、ここは、陸の上なのに。それも結構深いところで、水圧に耳が押し込まれているときのそれだ。
―ねじがたりないの、なんなのかなあ―のたくりながら僕の家の中を我が物顔で物色するその生き物が、急に正体を現したのだ。気を抜いて、変化を解いたのか?時間切れ?気付いていないようだ、それは腹の節を重ねたその脇にある気門をひゅうひゅうと蠕動させながら、僕を見る。複眼は5つあった。ヌらついた蛞蝓肌はLED蛍光灯の冷たい光を照り返している。いつの間にか部屋の中を、硫黄と黴臭さを足して腐った牛乳を攪拌したような汚臭が満たしていた。これの、体臭か。余程巧くカムフラージュしていたのだろうが、正体が晒されているのと同時に匂いの偽装も解けてしまっている。なんて醜悪な化け物。放っておく訳に、いかない。
それはつまり、家の中で見つけてしまった虫を潰すのと同じだ、ただ獲物がでかいだけで。全く罪悪や背徳はない、むしろ放っておく方が余程非常識にさえ、今は、思える。だって、部屋の中をハエが飛んでいたら殺虫剤をプシュっとやるだろう?ゴキブリが走っていたらスリッパで追い回すだろう?同じだ。
……僕も、探すよ
本当に、正体が曝け出されていることに気づいていないようだ、莫迦なのは、相変わらずだ。なんで変化が解けたのか、理由なんかどうでもいい。目の前にいる化け物を何とかしなければ、僕はそれを実行するために一芝居打つことにして一緒に螺子穴を探そうと申し出た。
ドライバーにはプラスとマイナスしかないと、こいつは思い込んでいる。でも協力を進言して僕が手に取ったのは、ドライバーセットに一緒に入っている千枚通し、当然これであの螺子は回せない。
あれは、そう、何かを企んでいるのだ。僕を騙して、あの奇妙な螺子、これが探す然るべき場所にその螺子を嵌めると恐らく取り返しのつかない何らかの出来事が起こるのだ。螺子頭の溝が五芒星?おかしい。邪悪なものに決まっている。星の位置を然るべき正しい位置へ戻すなど、恐ろしい、ああ、きっと恐ろしいことが起こるに違いない。何が?想像できない、だが、目の前でしゅうしゅうと悪臭を吐き出している忌まわしい化け物を見れば、僕でなくともそれは決して成し遂げられてはならぬことだと容易に思い至る筈だ。
―あ、このあなかなあ、ねえ、みてよ―どれどれ
触角を穴の縁にへたへたと当てて忙しなく動かしている。これの複眼は性能が悪くて、きっと螺子穴の形を正しく見ることができないのだろう。僕は彼女の背後から近付いて、一緒に螺子穴を確認する振りをする。ドライバー(千枚通し)の先は、握った手で自然に隠したまま、背後へ寄る。
確かめてみよう。螺子、貸して
ほら、螺子の穴、みてなよ
後ろから密着すると、これはちょっと甘い声を出した、無数の脚を騒めかせて、蛞蝓のようなヌらついた体を波打たせて、触角をぴくぴく揺らして、化け物のくせに、気持ち悪い、一丁前に人間の女の媚び方を心得ている。虫唾が走り、悪臭も相まって吐きそうになったが何とか堪えた。
螺子を受け取り、そして、僕は。
螺子が足りないのは、お前の頭だ!
千枚通しの先を露わにし、無防備な化け物のこめかみと思しき辺りへそれを突き刺した。ちょうど洋梨に刺せばこんな感じだろうという感触が、手に伝わってくる。頭蓋を貫くつもりで力を入れたが、その感触はなかった。骨らしい固いものはない、つまりそういう常識に一致しない、こいつはやはり化け物だったのだ!人差し指ほどもある千枚通しの長さは頭の大きさから言えば中ほどを超えている、脳のようなものがあるのなら到達し、致命的な損傷を与えているはずだ。
僕にこめかみを突き刺されたそれは、この世のものとは思えない不快な声を上げて身悶えながら倒れた。複眼は、どこを見ているのかわからない、焦点がどこにあっているのかさっぱりわからないから。でも、なんとなくわかった、僕に、どうして、という視線を送って来ている。その声はもう人間の言葉ではない、羽虫が飛び回るようなざらついた空気音の奥にピッチの狂ったフルートの音、潰れた鈴の音、下水道を汚泥が流れる音が混じっている、意味など捉えられよう筈がない。
それはこめかみあたりから臭気の漂うゲル状の体液をだらだらと流しながら徐々にのたくる動きを弱め、やがて動きを止めた。
ばけもの
僕はそれが動かなくなったのを見て千枚通しを投げ捨て、頭に空いた穴にその螺子を押し込む。こいつはおまけだといわんばかりに、これが手ずから作った専用ドライバーで回して捻じ込んでやった。
螺子が足りないのは、お前の頭だ
莫迦は死んでも治らないと云うがな、と付け足して立ち上がった。
その瞬間である。
ぐにゃり、と周囲の風景が、殻を割った卵の黄身を破ってひと混ぜ、ふた混ぜ、とした時のように歪み、輪郭を失い、破れて混ざり、回って壊れる。平衡感覚は失われ、今自分が真っ直ぐに立っているのか逆様になっているのかわからなくなる。右と左の概念が溶け合ってしまって、自分と自分ではないものの境界が失われていく、自分の意識が、外へ漏れ出ていく、自我が失われるような、恐怖的不快感。
な、なん……だ、よ、これっ!?きもち、わるい、下ろしてくれ、ここから、出し
ど、どうしたの?
僕が切削されて漏出していく意識の残片で断末魔の如く叫んだ言葉に、聞きなれた声が、被さった。
はっ
どうしたの?いきなり
僕は彼女の背中を掻き抱いた姿勢で、意識を取り戻した―取り戻した?
え、あ、ああ、ごめん、なんでも、ない
僕が抱いていたのは、蛞蝓背に蛇腹、無数の脚と5つの複眼を持つ悪臭の蟲、ではなかった。ふわふわと包み込むような雰囲気で、黒目がちの目をくりくり動かして僕を見つめる、彼女だった、相変わらず可愛い。
急に抱き付いて来たと思ったら、変な声出して。……したい、訳じゃないの、カナ?
見慣れた、彼女だ。ちょっと早とちりだけどいつも悲観的で前に進めない僕の手をそっと引いてくれる、僕なんかには勿体ないくらいの可愛い、彼女だ。
さっき化け物に後ろから忍び寄ったときみたいな距離、すっかりと彼女の体に腕を回して肩に顎を乗っけて、そのまま倒れこんだ先はベッドの上で。彼女は少し恥ずかしそうに視線を逸らして、僕の奇妙な行動に訝しみを持ちながら、照れていた。
あ、うん。その、シたい
しょうがないんだから、彼女は少し頬を膨らせて、僕を受け入れる。別に初めての行為というわけじゃない、今更まごついたり手間取ったりということはなかったけど、その日はなんだか、物凄く、気持ちがよかった。
こんなに気持ちいいのは、初めてだと思うくらい、肉欲というより、なんだか、解放されたような、迷いがなくなってスッキリしたみたいな、そんな爽快感と満足感を伴った法悦は、今までの何物とも比較できない程の快感で。
クリア、クリア、透明、澄み渡り見通しの利く快感。わかる、伝わる、摺りガラスは表面を均されてその向こうを見せた。光明、理解、充足される快感は胸に頭に染み渡って気持ちいい、叫び出したいくらい愛おしいのは彼女なのに自分の体も一緒に抱きしめてしまいたい愉悦。オーガズムは前後不覚に。
何回もシた後ののぼせたみたいな疲労感の波に揺られながら、同じように横で枕に顔をうずめている彼女に、僕は、整合性の合わない記憶について、聞いた。そう、それは
ねえ、螺子
うん?
どっかから落ちた螺子見つけて、戻し先、探してなかったっけ
僕が言うと、ああ、あれねえ、と知っている様子。僕は記憶にないぞ、いや、あるのだけど、それは、彼女が化け物で……いや、思い出すのはよそう。
リビングに落ちてた螺子だよね?あれは、もう、戻してあるよ。どっから取れたのか、すぐにわかったもん
えっ、そ、そうなんだ
意外な答えが返ってきた。そういえば、なんだか今の彼女の表情は、僕の記憶の中の彼女よりも落ち着きがある。もっと言うと、記憶の中よりも、知的に見える。僕の思い違いで、なければ、足りない螺子が、嵌った、ということではないのだろうか。
うん。螺子、嵌って、スッキリした
にっこり笑う、彼女。ちょっと、まぶしいくらいだ。どうしても莫迦だと彼女を蔑んでいた、僕の中の気持ちは、今はもうすっと晴れていた。もう、何も不快感はない。不安もない。満たされた快感。
ただ一点を除いて。
その不安を僕は深く考えないことにした。深く考えてそれを知ってしまったら、それこそ取り返しがつかないことになってしまうような気がして。記憶の行き違いや、不気味な夢について、僕はぴたりと蓋をして、見ないようにしまい込んだ。
そう僕は、こめかみあたりに何か違和感を感じていたのだけど、それは、そういうわけで、もう考えないことにした。